静岡英和女学院 旧宣教師館
国登録有形文化財の洋館
ヴォーリズ建築特有のスパニッシュ様式と、和風素材を取り入れた珍しい戦後の作品。
歴史
1950年(昭和25年)、カナダミッションより派遣される女性宣教師のための寄宿舎として建てられました。
宣教師館として使用されたのは16年間。卒業生で英語が堪能な者が通訳や調理など宣教師達の生活の世話にあたりました。
中でも仲野愛の活躍は「静岡英和女学院100年史」や同窓会だより「しづはた」などに残されています。
宣教師達の生活の場としてだけでなく、月曜日の放課後はバイブルクラス(聖書教室)が開かれ、
英会話の教室もあり、英和女学院の生徒だけでなく、近隣の学生(静岡大学、静岡高校、双葉学園、城北高校)が学び、交流の場となっておりました。
また、生徒の学びの場としてティパーティのお作法、庭を使って園芸部、リビングは英会話部の活動の場としても使用された記録が残っています。
年に1度のクリスマスには近隣の子供達も招き、クリスマスを祝う会が催されました。
宣教師館としての使命を果たした後は、校長住宅、外国人教師の住宅として使用され、その後一般住宅となりました。建築から65年余が経ち、建物が傷みその存続があやぶまれましたが「西草深の洋館を守る会」のご尽力により、2013年には、古い塩焼和瓦を活かしながら屋根の葺き替え、内部の修復も行い、現在は静岡英和女学院卒業生夫妻が個人住宅として「暮らしながら保存」をテーマにこの洋館に住み館の魅力を感じながら様々な企画を用意しその保存維持にあたっています。
2016年に国登録有形文化財に登録され、大切な国民的財産として愛されています。
コンセプト
現在は「暮らしながら保存」をテーマに、個人宅としてこの洋館に住み、日々その魅力感じながら、サロンとして活用することで洋館の保存活動を行っています。この洋館で過ごしていると時間はゆったりと流れ、私たちの心を豊かに保ってくれるような気がします。
「ミス カニンハム」とは、静岡英和女学院の初代校長先生のお名前をいただきました。カニンハム先生は、「日本女性の教養を高めるためには女子教育が必要である」というミッションを受けて1887(明 治20)年11月26日静岡市西草深の地に創立された静岡英和女学院の初代校長として学校創立に尽力されました。
人と人をつなぐ場であるとともに、洋館を取り巻く歴史や文化も掘り起こしていきたいと思っています。
ヴォーリズさん
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは1880年(明治13年)アメリカに生まれ、24歳のときにキリスト教伝道のため来日。以後1964年(昭和39年)に亡くなるまで日本で過ごしました。来日当時、英語教師として現在の滋賀県近江八幡市にある商業学校に赴任しましたが、彼の熱心な伝道活動は仏教徒の多い地元の人々の反発を招き、二年で職を解かれてしまいます。しかし、このことが彼の運命を変え、学生時代の夢だった建築家の道へと進むきっかけとなるのでした。1908年(明治41年)に建築事務所を開設。近江八幡を拠点に建物に対する理想を次々に形にしていきます。
関西学院大学、神戸女学院大学・・・ヴォーリズ建築の建物は今なお残されているものが多く、「日本で最も愛される洋館」を作ったといわれております。彼の作品は実用性に重きをおき、簡潔ではあるけれども豊かなデザインと親しみやすく包容力のある空間なのが特徴です。家族の健康を守り、人が集い、憩うための優しい住宅。患者への愛にあふれた療養施設。学生に美の観念をはぐくもうとする学び舎。ヴォーリズ建築は「依頼者の求めに応える」奉仕の精神、ヴォーリズの信仰そのものでもあります。
ヴォーリズが静岡英和女学院に最初に関わったのは、1924年(大正13年)の校舎建設のための設計からです。光と影のきらめく白いモルタルの壁に赤い屋根、スパニッシュ様式の壁の紋章、セントポーリアの飾り鉄柵、深い陰りを落とすポーチ、窓、アーチの正面玄関。もしこの校舎が1945年(昭和20年)6月19日の静岡大空襲で火焔に包まれることなく現存していたら、静岡の建築史に残る貴重な文化財となったことでしょう。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ http://www.vories.co.jp/vories/